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2017年10月11日 [スタッフブログ, 世田谷 歯医者, 尾山台 歯医者]
【列車シリーズ第2弾】キハ82系
こちらのブログでは新たに院長先生から、新シリーズ「素顔の院長」も鋭意スタートとなり、ますます多角的に盛り上げていきたいと意欲に燃えております!!
ちなみにジェイムズ・ブラウンさんのPlease Please Pleaseはお聴きになられましたでしょうか?
世代を超えてファンがいる方にはやはり理由がありますね!下のブログ内で動画リンクがありますのでよかったら見てみてくださいね
インプラントセンターでも、ここでしかお伝えできないような専門的な話も交えて、ひきつづき歯科オペ室の臨床風景を実況して参りますので、ぜひぜひ乞う御期待ください♪
さて、本日は列車シリーズ第2弾として、
「キハ82系」
を取り上げてみたいと思います。
いわゆる「ディーゼルカー」とよばれるものです。
パンタグラフのない列車です。
※パンタグラフとは電車の上についているこういうのです。
電線がなくても走れます。
キハ82系は、おそらく日本の列車史上、ナンバー1のディーゼルカーであるといえます。
デビューは1961年
まだ新幹線が登場しておらず、蒸気機関車も方々で活躍していたような時世に、国鉄が全国に特急列車網を開拓するため、計り知れない貢献をしてきた車両です。
当時は電線(架線)の敷設されていない、「非電化区間」も多く、全国をまたにかけ走破するには、内燃機関を有するディーゼルカー(もしくはSL)でなければなりませんでした。
キハ82系は、特急用のディーゼルカーです。
どこか遠くへ出かける時、今であれば、新幹線か飛行機、あるいは自家用車を思い浮かべる方がほとんどではないでしょうか?
繰り返しになりますが昭和30年代当時は新幹線がなかったうえに、高速道路やマイカーも全く普及していなかったので。
国鉄は経営難で大幅値上げを実施するのは1976年のことですがこれよりも前のことであり、少し遠出をする私たちにとって欠かせない移動手段として、こういった【新幹線以外の】特急列車が主役を演じていたというのは、いまとしてはイメージしづらいかもしれません。
少し大げさかもしれませんが、
キハ82系は、いまの感覚でいうのなら新幹線寄りの存在感でした。
日本海側を走る、走行距離1000㌔越えのロングラン特急「白鳥」は、キハ82系の晴れ舞台の一つで、「北陸トンネル開通」の記念切手には、この時のキハ82系の勇士が刻まれています。
残念ながら当方で所有している写真がないのでせめて絵だけでも掲載させてください。
これも僭越ながら、当院・院長先生の思い入れのある名車でございます。
岡本歯科クリニック
訪問看護職員 & 中谷